お粥を愛している

自分を救いたい文章です。

星を灯す

大好きな本を読み終えた。いや、大好きになった本だ。

昔から、好きだな、と思った本を読むと「心に星が灯る」または「美味しいものをお腹いっぱい食べた後」のような感覚になる。

今は、前者のほう。胸の内側に自分だけの星が生まれて、それが人知れず輝きを放っている感じ。登場人物一人ひとりが星座のように結ばれている。

そんな感覚が私をひとりにするし、孤独からは解放してくれる。

 

 

本を読むことはすごいことでも何でもない。孤独やら自己嫌悪やら得体のしれない不安感やら、そういうものから解放される手段のひとつであると私は認識している。

だから本を読むことを褒められる時、いつも居心地が悪い。本を読んでいるのに教養が無くてすみません。といつも心の中で誰かに謝っている。

 

それなのに、本を読む自分を誇らしく思う自分もいる。

いつか、職場のスポーツ好きな同僚に「スポーツ観戦をしたことがない」と言ったら「それは人生の半分損してる!」と言われたことがあった。余計なお世話過ぎてろくに言い返すことが出来なかったが、あの時私は確か「その分本を読んでいるから損なんてしてない」みたいなことを言い返した気がする。とっさに出て来た、スポーツに対抗できるものの代表が本だった。

 

スポーツは苦手で、好きになれたことはない。けれどスポーツができる人に対する尊敬はある。だから決してスポーツの悪口なんて言いたくないのだが、その時ばかりは「このスポーツ馬鹿が」と言い返したくなってしまった。いや、スポーツは悪くない。悪いのはあの失礼な男だ。

しかし、人生の半分も損しているだなんて。

 

好きな本に出会って夢中になるあの時間は、私の人生で有り余るほど幸せな時間だった。私の人生の半分は本に救われたと言っても過言ではない。だからそんなことを言われて心底腹が立ってしまったのだ。大好きな本ごと貶された気がした。

そもそも人の人生の価値を勝手に決めつけるような行為そのものに問題があるのだが、とにかく私は怒っていたし今でも新鮮な怒りが湧いてくる。

 

私は今でも本に救われる。物語が心のうちに刻まれる度、自分の存在価値とかそういうものが心底どうでもよくなる。この世に生まれてよかったと思うことができるのだ。

それが「心に星が灯る」感覚なのだと思う。

 

読んだ本の題名は凪良ゆうの『汝、星のごとく』と『星を編む』でした。

なんかベタすぎるかなと思ったけれど、でもいい。良い本に出会えました。